エンド・オブ・ライフケア看護学への千葉大学の取組

生きるを考える/2012年度

普遍教育「生きるを考える」第3回の様子

がんと共に生きる患者と家族のエンド・オブ・ライフケア

[日程]平成24年10月16日 III時限/12:50〜14:20(総合校舎B号館)
[講師]櫻井 智穂子(千葉大学大学院看護学研究科 特任講師)

  • 講義の様子
    講義の様子
  • 櫻井 智穂子先生
    櫻井 智穂子先生

受講生の感想1

私の祖父はがんであった。祖父の場合、末期ではなく手術で回復が見込まれるということで、その場で告げられたという。では、もし終末期であったならどのように告知されたのか。そもそも本人は告知を望むのか。その後、家族としてどのように支えていけばよいのか。様々なことを考えさせられる講義だった。
病気の終末期であったら、余命を宣告してほしい。私自身はそう考えるが、必ずしも全ての人がそう望むわけではないようだ。患者に告知するのか、しないのか。講義中にでた二例はいずれも亡くなった後、家族は程度の差こそあれ、後悔していた。患者やその家族はどうするか話し合っておく必要があるし、家族は患者の意思を尊重すべきだと思った。しかし、実際家族の誰かがそんな状態になったら、変に気を回したり、冷静になれなかったりするだろう。どうすべきかの判断は今考えているものよりずっと難しくなるはずだ。患者のケアはもちろん大切であるが、患者亡きあとの家族に生じてくる後悔や罪責感を少しでもすくなくできるようなケアを提供できるような医療が求められると感じた。また、家族としてだけでなく、将来、医療者となったときも、患者が有意義な生き方をするのが第一だ、ということを忘れないようにしなければならないと思った。

受講生の感想2

幸いな事に、私はまだお葬式に参加した経験がなく、人の死に直面した経験がありません。従って、死に対して現実味を持てずにいました。そして、今でも死に対して漠然とまだまだ先の事という意識を持っている…というよりも、縁起でもないからと死から目を背け、思考する事を避けているのかもしれません。
生き物はいずれ死ぬという理を頭ではわかっていても、自分にもいつかはその時が来ると理解していても、自分にその時が来た時を仮定してどの様な気持ちになるのかという想像を、深くじっくりと膨らませた事はこれまでにはなかったように思います。
しかし今回の“がんと共に生きる患者と家族のエンド・オブ・ライフケア”の講義を聴き、人生の最期をどう過ごしたいかを考える事の重要性に気付かされ、そのことについて家族と話したいと強く思いました。
死を決して後ろ向きにのみ考えるのではなく、誰もが幸せな最期を迎えられるよう、考えていきたいです。
このように死について考えるきっかけとなる講義を聴けて、非常にためになりました。ありがとうございました。