災害支援体験記(1)

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「いま、保健師としてできることは」と望んだ災害支援

千葉市中央保健福祉センター健康課
主任保健師 夏井 演

 私が保健師として千葉市に就業して、3回目の災害派遣でした。過去2回の派遣は平成16年の新潟県中越地震、平成19年の新潟県中越沖地震の時でした。千葉市の第1陣として被災地へ災害派遣され、被災地域を他県市の派遣チームと共に住民の健康状態の把握や世帯毎の安否確認等の保健活動を行いました。

 今回の災害派遣は岩手県への派遣でした。派遣の主な目的は市が継続的に災害派遣するための人員体制、被災地域での主な役割、必要物品及び派遣職員の滞在期間等の調整でした。

 岩手県の現地に入ると、悲惨という言葉では整理できないほどの光景でした。テレビや映画でしか見たことのない光景が、自分の目の前に存在していました。その光景を見て、私だけではなく同行職員も恐怖と強い不安を感じました。体育館等の公共施設には、避難所として多くの住民が避難していました。しかし、多くの住民が避難している反面、住民同士の会話があまり聞かれませんでした。当初、私は身体的な疲れ等の影響と思っていましたが、その認識は全く違っていたのです。避難住民は自宅や家族等を一瞬のうちに失ったという現実を受け止めることができない気持ちと、地震や津波の恐怖で、自分のこころが疲れきっていたのです。避難住民は先行きの不安の前に、今、起きた出来事が受け止められず、自らのこころの整理ができない状況でした。

 支援者としてまず、取り組んだことは避難住民からの話の傾聴です。避難した当初は住民個々がこころの整理ができない状態であり、住民同士で不安等を語り合うこともできない状況でした。住民からの一言一言の言葉を傾聴し、その内容を共感していきました。その後、その内容を受容できるように関わりを深めていきました。避難住民のこころの整理ができるきっかけとして、支援者が避難住民の冷たくなった手や足をさする等しながら、傾聴する行為が支援の第一歩と思います。

 今回の災害派遣と過去2回の派遣の経験から共通していたのは「自分たちが見て、感じた怖さや恐ろしさを人に話したい、聞いてもらいたい」という気持ちでした。食料や衣類等の支援物資は次々と一方的に配られます。しかし、不安や恐怖というこころの不安定さは支援者が少しずつ、安定できるよう支援していくことが必要です。避難住民に対し、無理にアドバイスをする必要は全くないのです。傾聴することが最大のアドバイスと思いました。

 災害派遣される私たちは派遣期間が終了するといずれ自分の居住地に帰れます。しかし、被災住民は「終了」という言葉無く、この場所での生活がこれからも続いていきます。あらゆるきっかけや場面で、住民に声をかけて、相談にのることができる行為は看護職の最大の技術と思います。相談できた住民が、少しでも「楽になった」「話せてよかった」等と思えてもらえることが、次につなげられる『その住民の原動力』となると考えました。

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