災害支援体験記(4)

|災害支援体験記|社会貢献|

故郷~被災地宮城県への~医療支援活動を通して

千葉大学看護学部4年
菅原 千賀子

 2011年3月11日午後14時46分東日本大震災発生。
テレビ画面では続々と各地の震度が発表される中、ある放送局は私の故郷の湾内を映し出していました。≪津波がくる…≫テレビに映し出された画面を通してさえ、あの津波の前兆である引き波の様子がはっきりとわかりました。家族と連絡が取れたのは震災から4日後の朝。「やっと通じたね~」というあっけらかんとした母からの電話の声に、どんなに安堵を覚えたことかわかりません。

その頃テレビでは、各地の被害状況が続々と伝えられていました。そして様々な医療機関に属する医療者や救援物資の車が続々と被災地に向かい、活動している様子も映し出されていました。そんな中「今は所詮一看護学生…私はいったいどうすればいいのだろう?母体となる組織を持たない私一人が医療者として現地に赴いたところで役に立つだろうか?」という思いと「でもこのまま、今故郷の為に何も行動しないでいいのか?」という葛藤で、徐々に自分に憤りさえ覚えるようになりました。

そして「私一人でできることは限られている。でも、独自に医療チームを発足し現地に入ることができれば役に立つかもしれない。」そう考え、今まで共に働いてきた医師らに声をかけ、様々なつてを頼りに調達できる限りの薬剤を集めました。そして3月18日深夜、ガソリンをかき集めてくれた友人のトラックに医療資機材と友人達から託された支援物資を詰め込み、被災地である故郷に向かいました。

到着したのは19日早朝。目の前に広がるその光景は予想をはるかに超えたものでした。全てがことごとく破壊され、思い出のすべてが瓦礫に変わり果てていました。私達を迎えてくれた多くの地元の人達は被災後1週間経つというのに雪が降る程の寒さの中、津波から着の身着のまま逃げ、流される人を助けたりして海水で汚れた衣類や靴を身につけたままでした。

高台にあった災害拠点病院は幸いにも機能しており、私たちはそこからDMATがフォローしていない避難所を巡回診療しました。故郷は高齢者が多い町で、多くの人が慢性疾患を抱えているにも関わらず内服薬がなく、寒い避難所での集団生活で感冒症状を訴える人も多くいました。3日間ほどの巡回診療の後、特に市役所に避難している人たちの様子が気になりました。旧市街地に隣接している市役所には150名程度の方が避難しており、そのほとんどが高齢者でした。医療機関の受診が必要な状態にもかかわらず小高い丘が多い地形の為、移動手段が確保できず病院にアクセスできない方が多くいました。市役所の保健部長に「ここ市役所に診療所を設置したい」と相談すると「是非そうして欲しい」と言って頂き、独自に市役所に仮設診療所を設置することになりました。

その診療所で日々繰り広げられた出来事はあまりにも非日常で残酷でありながらも、多くの人々からの感謝にあふれ、熱意ある医療メンバーとの有意義な日々でした。千葉大看護学部編入生の先輩である友人も応援に駆け付け、DVT予防の運動や、肺炎予防の為の口腔ケア指導にあたってくれました。

またメンバーが市役所内の診療所活動や避難所の巡回診療をしてくれている間を縫って、独自に他の避難所を訪問し、医療過疎となっている避難所がないか訪問・開拓しDMATに繋ぐことができました。交通・通信手段が断絶状態の中で、自ら医療にアクセスできない人々へ医療を提供するには、医療者自身がそこにアプローチするしかないと思いました。

このとき、偶然訪ねて来て頂いたNGOチームが、私が感じていたこのような問題点を解決できるチームだとわかり、地元の医師とつなぎ新たな地域連携医療チームが発足しました。短期支援チームから長期間被災地で活動する医療チームへ、医療支援から生活支援につないでいく役割を果たせたかと思います。

その他に自らも被災者でありながら、疲労困憊の中、市民のために寝ずに働き続ける市役所の職員への健康診断は250名程度行うことができました。

災害支援のプロでもない私がこのような様々な活動に携わることができたのはひとえに私の声掛けに直ちに反応し、現地に駆けつけてくれた医療者の友人たちのおかげだと思います。また、今回のこの活動を立ち上げるにあたりその支援金を友人達を通して募った所、本当に多くの方からご支援いただきました。なかでも、この千葉大学で共に学んでいる編入生メンバーや先生方にはたくさんのご支援をいただきました。故郷が壊滅的な状態となってしまったそのことは今でも信じられないほど悲惨なことではありましたが、そんな中にあっても私は沢山の優しさに触れ、多くのことを学ぶことができました。

私は今後支援していただいた皆様に、多くの故郷の方々から頂いた'ありがとう'を伝えていけるような看護者としての道を模索していきたいと思っています。

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