災害支援体験記(5)

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災害支援体験記

医療系大学所属 匿名

 被災8日目から11日目の4日間、千葉大学看護学部の教員3名のチームで、茨城県の避難所となっていた中学校の体育館で支援活動を行なった。被災5日目から同大学支援チームが行なっていた活動を引き継ぐ形で活動を開始した。その地域は、液状化でライフラインが全滅、住宅は傾くなど半壊が多く全壊はなかった。避難所の体育館は、建物の破損はなかったが、液状化による地盤沈下と地割れにより、宙に浮いているような状態だった。そのため、土を埋めてつくった数か所の通路を通り、仮設トイレや、自衛隊の給水車まで移動していた。避難所には、被災当日は1000名以上が避難していたが、電気の復旧に伴い、自宅へ帰宅する方が増加し、私が訪れた被災8日目は100名程度となっていた。生活状況は、電気は体育館のみ復旧、水は自衛隊が給水車にて制限付きで(一人2リットル/日)配給、食べ物は1日2食(朝、夕)の配給、仮設トイレが校庭に設置されていた。体育館のフロアーに毛布や布団を敷いて家族ごとにまとまって過ごし、間隔はあるが仕切りはないためプライバシーはなかった。夜間は大型の電気ストーブを設置して暖をとっていた。

 避難所に到着してすぐに、高齢の女性の熱発がわかり、市の地職員が付き添い他市の病院に受診し、中程度の肺炎と診断を受けた。その女性は、舌苔がかなり付着しており、肺炎の原因になったことが予測された。その日の夕食後、歯磨きをしている人の姿はほとんど観察されず、口腔ケアは、熱発した女性だけではなく、避難所の住民の多くが行えていない状況が伺えた。しかし、水分制限があるなかで、口腔ケアのために水分使用を勧めることはためらわれた。翌日(被災9日目)に、近隣のゴルフ場で入浴が可能となったため、入浴時にはみがきをするよう呼びかけた。また、手指消毒用の薬剤が2台しかなく、全員の消毒は行なえず、消毒を行なわないままの手でおにぎりを食べている人が多く見られた。そこで、ウェットティッシュに消毒用エタノールをしみこませたものを作り配布した。このように、限られた資源と環境の中で、感染予防を行なうための工夫が必要であった。

 他には、生活リズムを作り継続するための活動として、ラジオ体操、掃除、換気の実施や、カレンダーの設置を行なった。また、血圧測定や、入浴できない高齢者への清拭、精神障害のある住民へのナイトケア、内服管理に対して混乱している方への対応、夜間の加湿器の設置(乾燥対策)など、避難所で生活している方への健康管理を行なった。それと同時に、避難所を運営している市の職員の健康管理のための活動も行なった。

 4日間の支援を通して感じたことは、避難所の住民は、被災から1週間が経ち、避難所での生活の流れができ始めたが、今後の生活の不安を語る方が多く、これから立ち向かわなければならない問題は山積みであり、地震が落ち着いたから解決ということではないということである。さらに、避難所を運営している市の職員も被災者であることも実感した。被災から1日も休まずに体育館に来ている職員も多く、市の保健師は、私たちが行った日(被災8日目)に被災後初めて交代で1日休みがとれたと言っていた。そのような中で、避難所の住民は「市の人はとっても良くやってくれている」と言い、市の職員は「困ってることない?」と住民に話しかけ、近所の高校生は「学校もないし、家にいてもすることないから、避難所を手伝いに行こうって皆で話し合って」と言い毎日ボランティアに来ていた。このように、避難所の住民も市の職員もお互いに被災者であり、大変な状況の中で、お互いを思いやりながら生活している姿がとても印象的で、そのような姿を見させていただいたことが一番の学びになった。

 4月下旬にはライフラインが応急復旧し、避難所が閉鎖されたお知らせを受け、嬉しく思うと同時に、私たちは4日間で帰ってきたが、今も、現地で、様々な問題に対応しながら、住民や市の職員の方々の生活が続いていることを念頭においておきたいと思う。

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