「東日本大震災のボランティア活動」 

看護学部2年 塚田祐子

私は2010年に千葉大学看護学部に入学し、2011年の前期までの授業を受け、現在休学(2011年10月から2012年9月まで休学)しています。2011年は多くの人にとってもそうであったかもしれないように、私の人生を大きく変えた年でありました。震災が起きた翌月から「被災者と専門NPOをつないで支えるプロジェクト」にボランティアとして参加し、宮城県南部の避難所を訪ね、住民の困りごとを聞いてまわりました。大学の前期授業が始まってからも、夜行バスで宮城県と千葉県を行き来することを繰り返しました。休学し、長期的に住民と関わることを決め、2011年8月からは石巻市に住み、「キャンナス東北」という看護師中心のボランティア団体にて活動しております。

石巻市では避難所に常駐し、避難所が閉鎖され住民の生活の場が仮設住宅に移ってからは、看護師による仮設住宅談話室でのお茶っ子健康相談会や健康体操、戸別訪問と活動は形を変えながら続いています。私は看護学生として非力ながら、ボランティアコーディネートやお茶っ子健康相談の運営、事務局機能サポートなどをさせて頂いております。石巻で活動していると、看護師の力の大きさを感じます。避難所に24時間常駐することや、定期的に仮設住宅に看護師が訪問に来るということに住民の皆さんは安心感を覚えます。そこに看護師がいるというただそれだけのことが、人に与える温かな影響を多く目にしました。ナイチンゲールが看護師という職業を確立させてから今日に至るまで、看護師達が信頼できる職業人像を社会に築いてきたその関わりや姿勢に深い尊敬の想いを抱きます。 仮設住宅のお茶っ子健康相談では、意外にも皆さん自身の被災体験をお話しされます。

「あの日、奇跡が2つも3つも重なったから、今ここで生きている」
「屋根の上の孫が引潮に流されていくのを、見ていることしかできなかった」

あの日のことを、今も心を締めつけることをゆっくり言葉にし合い、そこに相互の癒しの空間ができ上がっていくのをみました。談話室のお茶っ子健康相談に参加できない方の所には訪問に行きます。大勢の人とは話したくないけれど2人だけならおしゃべりしたいという方もいます。浜へ血圧計を持って行き、漁師さんの元へも訪問します。海を見つめながら漁師さんが看護師にぽつりぽつりと不安を話し始めることもあります。住民の方々が辛いことを自然と話し始めた時、私にできることは本当に少なく、ただ話を聞き、ありのまま受け入れ、時に手や背中にそっと触れることくらいです。しかし振り返ってみると、1年前の私はそんな対話の姿勢すら持っていなかったように思います。私が今持つ地域の方々と話すときの眼差しや、そっと添える掌を私は震災後関わった住民さんから頂きました。日々、育てて頂いていると感じています。

また、長期間活動している中で見えてくるのは何と言っても精神、体力、能力などの自分自身の限界でした。自分が無力であることをひしひしと感じ、それでもできることを続けていく。組織の中でどう自分が機能していくか、役割は何かを常に考えていく‥‥‥。千葉大学の専門職連携教育の授業では全く想像できなかった他職種連携の難しさや苦しさも経験しました。また、自分の心の弱さは何か、どんな気分転換が合うのか、慣れない土地に素早く適応する方法などこれから「生きていく」ために必要なことを多く学びます。

2012年3月11日、東日本大震災がおきた時間、サイレンの中、私は石巻市の日和山公園にて手を合せました。閉じていた目を開いてまず思ったことは、この土地で人々はこれからも生き続けるのだということです。そして、地域に人がいる限り、看護師や看護学生がやるべきこと、できることは必ずあります。私は休学期間が終われば復学し、今のような震災との関わり方に一つの区切りがつきます。しかし震災との関わりが終わるわけではなく、きっと私達の世代が死ぬまでは確実に被災地への継続的な関わりが不要になることなどはあり得ないのではとも思います。その関わり方がボランティアであったり、仕事であったり、そこで暮らすことかもしれません。人によって関わり方や関わりを持つ時期は様々であると思います。私は私なりの関わり方を続けさせて欲しい、続けていきたいという想いでいます。

「底力宣言!」をした千葉大学看護学部。底力とは人間の芯の強さや優しさから湧きあがるエネルギーであると勝手ながら思っています。これから日本の看護師は国際社会から「3.11を経験した国の看護師」という見方を少なからずされると私は意識します。底力を持ち、人や地域、世界と向き合い支えることのできる日本人看護師になるために千葉大学での学びを深めていきます。

千葉大学大学院看護学研究科説明会
仮設住宅談話室でのお茶っ子健康相談(2011年8月)ピンクのTシャツが塚田さんです。