-東日本大震災から2年-
私の東日本大震災との関わり  

看護学部2年 塚田祐子

私は2010年に千葉大学に入学し、2011年3月の震災をきっかけに大学を1年間休学(2011年10月から2012年9月まで休学)し、昨年の秋より看護学部に復学しました。2年前、日本は想像できないほどの大規模で広範囲の災害を経験し、改めて「豊かな生活」や「幸せ」について正面から問われました。私は将来、生活に寄り添う看護師になるために学んでいる学生として、「被災した住民さんの出来るだけそばに」という想いから休学し、宮城県石巻市にて看護師のボランティア団体のサポートを行いました。石巻から戻り現在は、フリーのボランティアコーディネーターとして活動を微力ながら続けています。東北の為に何かしたい人と地域とを結ぶ活動です。

被災地における健康問題は現在も数多くあり、仮設住宅の住民さんと話をしていると長期に渡り継続される高血圧や不眠、体調を崩しやすくなったなどの声が多く聞かれます。またもうすぐ2年目の3月11日を迎えるにあたり心の不安の声も多いです。しかし、高齢の方も仕事に忙しい漁師さんも、被災した環境の中でもなんとか健康に生きることが出来るよう、自分なりに生活をしていることが解ります。高齢の方は散歩をして足腰を鍛え、お茶っこのみ会(談話室などに集まってお茶飲みをすること)をしてお互いに気を配っています。年が明け、「新年になったのにまだ何も進んでない」と言う漁師さんは、それでも「あけましておめでとうね」と言ってくださいました。去年の年明けには聞かれなかった言葉です。多くのメディアでは健康問題や復興の困難さが伝えられますが、そこには地域で暮らす人々がその地で生きていこうとしている力が確かにあるということを感じる日々です。

東北で出会った人々が抱える悲しみは一つ一つ個別のもので、被災した地域の持つ問題も地域ごとに細かく異なりました。災害は一つとして同じものはないと痛いほどに感じました。休学した1年間は目の前の地域や人々が抱える問題にどう向き合って、どのように出来るだけ解決するかという取り組みの繰り返しでした。大学で教授たちから「看護とは創造するもので、アートなのだ」という言葉を聞いていた私は、この現場でこそ看護の柔軟性と創造性を発揮すべきと考えました。地域ごと、人ごとに異なる課題に柔軟に向き合いながら、創造的に解決策を生み出すこと。日常のあらゆる場面に看護の力は必要ですが、災害の現場にこそ看護の力をと私は思います。

最後に看護学生で休学というあまり聞かれない学生生活をした私ですが、休学するにあたって多くの大学関係者から支えていただきました。手続き上のことや数あるワクチン接種との兼ね合いは問題ないかなどを一緒に考え、サポートしてくださった学務係の方々、休学中にも関わらず活動に関する相談に乗ってくれた先生方に本当に感謝しております。千葉大学看護学部は学外へ飛び出しての学びをもきちんと支えてくれる大学です。