千葉大学大学院看護学研究科でエンド・オブ・ライフケアを担当する教員3名が座談会を行いました。テーマはずばり「エンド・オブ・ライフケアとは何か」。教員・研究者としての立場から、また一人の人間としての立場から考える、それぞれの思いを語り合いました。
長江 弘子
千葉大学大学院看護学研究科 エンド・オブ・ライフケア看護学講座 特任教授。地域で活動する訪問看護師ならびに病院における退院支援・調整に関わる看護師の生活と医療を統合する継続看護の実践能力の解明とその成果に関する研究を中心的なテーマとし、看護師の実践をベースとした研究と教育に取り組んでいる。
長江先生 それではエンド・オブ・ライフケア看護学講座のメンバーが語る、エンド・オブ・ライフケアとはどのようなケアを指すのかということについて話し合いたいと思います。今日のディスカッションのメンバーは和泉特任教授、櫻井特任講師、長江の3名で行います。
それではまずこの新しいエンド・オブ・ライフケアという概念なのですが、どのようなケアを指すのかということや、対象となる人やいつからがケアの始まりなのかということを少しずつ語り合いたいと思います。
エンド・オブ・ライフケアとはどんなケアを指すのかということですが、エンド・オブ・ライフケアというのは私の今の時点の考えとしては、やはり病とか障害を持つ人が何らかの生活の再編をせまられたり、これまでの生活を何らかの理由で変えなければならなかったり、あるいは体の不調によってしたいことをあきらめたり、そういうような状態に直面している方たちが対象で、年齢とかには限らないんだけれども多くは高齢者が対象であるというイメージを持っているのかなと思います。私が在宅ケアに関わってきた関係で病気や障害を持つ人が家で暮らすことを選んでいく過程において、どういうような生き方を選択するか、あるいはそういう人たちと向い合っていって、そしてなるべくなら自分の望むその人らしい生き方を自分自身がイメージをしてその意向に沿って必要なことを手助けできることは何かというところで考えてきたので、いつからがそのケアの始まりかについては、病気にかかった時とか体調が悪くなったことを自覚した時点とか、入院や退院というような機会を通じて・・と思います。ですからそういう、何らかの喪失体験を通じて意識するものではないか何らかのきっかけで健康ということが当たり前にあったこれまでの日常というものが壊れる…変化するということが一つの契機になって、そこからその人自身の中で、そして一緒に暮らす家族にとってもそれが始まるものではないかなと思っているのですが皆様はどんなふうに思われますか。
和泉先生 伊集院静の本に書かれていた言葉だと思うのですが、死というのは病気や障害の結果ではなくて死というのは寿命がもたらすものだというような…正確には覚えていないのですが…そのような文章があって、私はそれはあぁ、その通りだと思ったんですね。私がエンド・オブ・ライフケア看護学講座で働くことを考えた時に思ったことは、今までのエンド・オブ・ライフケア…まあエンド・オブ・ライフケアという言葉自体が日本では比較的新しい言葉でまだあまり普及していないと思うのですが…今までターミナルケアですとかホスピスケアですとか、そういった言葉を使って行われていたケアというのは、ほとんどが病人、患者さんを対象にしているケアなんですね。ほとんどの人が病気を患って、日本の場合は主にがんを患って診断を受けて治療を受けてその治療の結果、回復するということがなくなって死を迎える、その死に向かっている人に対するケアがエンド・オブ・ライフケアという印象があります。
私が伊集院静の書いていたことに非常に同調するところは、人は必ずしも病気で死ぬわけではなくて病気以外のたとえば高齢者の人とかっていうのは、もしかしたら死をもたらすような大きな病気をしていないかも知れないけど老衰で亡くなるということもあるわけで、そういうふうに体の機能が老化現象とともに徐々に衰えていく、高齢になっていくのに伴って自分もいつかは死ぬだろうと考えている人が死に向かって準備をしていく、死に向かって準備をしていくというと聞こえはネガティブですが、結果としてはそれを裏返せば最後の死の瞬間まで自分らしく生きることになると思うので、それを支えていくケアがエンド・オブ・ライフケアだと考えています。ですから、病気を持って病院に入院してくる患者さんだけがエンド・オブ・ライフケアの対象ではないというふうに私は考えています。
長江先生 そうですね、最後まで生きるということは、私はずっと地域で在宅療養されている患者さんと家族を診てきたので、私の場合は最初から患者さんとして見るのではなくて、その人の生き様とかその人の歴史とかを大事にすることの重要性というのをずっと考えていました。在宅では一期一会というか同じ生活の人は少なくて、様々な人たちの生活の中に私たちを混ぜてもらって、その人の生き方を学びながら支えてきたところがあって、こういった生き方を支える医療の在り方がもっと広がらなくちゃといけないと思っていました。そして在宅ケアの在り方が本当の医療の在り方じゃないかなと思っていました。
そういう意味ではその人生き方を支えるケアというところにエンド・オブ・ライフケアの根幹はあり、そのケアはその人の生き方をどう理解できるかという医療者のキャパシティが必要だと思っています。和泉先生が言ったいわゆる医療モデルでその人の治療を行うというスタンスで向き合うのでなくて、生活をする人として医療者がとらえ、向き合うことがエンド・オブ・ライフケアの大事な視点ではないかと思います。