千葉大学看護学部入学から今日まで

看護学部2期生 中村伸枝(小児看護学教育研究分野 教授)

中村先生 写真

―千葉大学に入学しようと思ったきっかけは?
中村 中学のときから看護に興味があったのですが、当時は弘前、聖路加、高知など数えるほどの大学でしか、看護を学ぶことができませんでした。学費や距離の面で、他学部への進学を検討していた高2のときに、千葉大学に看護学部ができて、「これで大学で看護を学べるんだ!」と思って、迷いなく進路を決めました。

―ご家族の反応は?
中村 進学校に通っていたこともあり、家族は専門学校での教育が主であった看護の道に進むことには賛成していませんでした。でも、私は看護と決めていたので、より難関の大学を第一希望、千葉大学看護学部を第二希望と伝えたうえで、模試の結果を見せて、やっぱり第一希望は難しいから、千葉大学看護学部、という選択に誘導しました(笑)。

病院実習 写真病院実習で

―入学してからの印象はいかがでしたか?
中村 まず、教養科目がとっても厳しかった!統計、物理、ドイツ語など、難しく厳しい科目が多くて、受験生のときより大学に入ってからのほうが勉強したくらいでした。

―念願の看護学部の授業は?
中村 創成期ということもあって、先生の熱意がすごかったですね。先生と看護に対する考えが合うとものすごくうれしいし、違うと落ち込んだりしました。学生も私のように高校から進学してすぐの学生もいれば、社会人の方も入学しており、混沌としていて。教員も学生もみんなで「看護学って何だろう」と必死に考え、追いかけていた気がします。

中村先生 写真

―特に楽しかった授業は何ですか?
中村 看護専門科目は勿論ですが、看護の専門基礎科目、病態学とか機能・代謝学とかもとても興味深かったです。臓器や細胞を図で説明してくださる先生がいて、色鉛筆を買って一生懸命ノートに書き写して、今でもそのノートは取ってあります。

でも試験も厳しかった。あまりの難しさにみんな頭を抱えてしまって、試験中なのに「もう落ちちゃうけどしょうがないや」という諦めムードが教室全体に漂ったこともあります。そうしたら、その先生が突然黒板に向かって「denken denken」と書きだして。ドイツ語で「考えろ」という意味なんですけど(笑い)。今では試験中に監督官が板書するなんて考えられませんが、当時はそんな時代でしたね。

―当時はまだまだ看護学部が珍しかったようですが、実習などで不利益になることはありましたか?
中村 当時の専門学校では臨地実習の期間がとても長く、技術の習得にも多くの時間をかけていたので、私たちの実習前には「知識はあっても技術ができない学部生は嫌われる」といった噂もたくさんありました。でも、就職した時には、思ったより技術の差は感じませんでした。むしろ、「なぜ医師がこの指示を出したのか」とか、「この患者さんにはどうして特殊な食事が必要なのか」といったことが、大学で学んだ授業とリアルにつながっていって、目の前が開けるような感じでとても感動したのを覚えています。

―千葉大学の総合大学らしさ、というのを感じたことは?
中村 大学として「こういう風に連携しなさい」といった枠はなくて、自由でした。でも、工学部の学生とペアになって実験したり、他学部の学生と一緒に数学の授業を取ったり、自由だからこそ結構、共に学んでいたかもしれません。当時は今よりも授業のシラバスも整備されていなかったんですよね。だから、連携や総合大学、というのを意識することはあまりありませんでしたが、なんとなく、自然に総合大学の恩恵を受けているという感じでした。

学位授与式 写真学位授与式

―卒業後の進路は?
中村 もともと小児看護をやりたいというのが看護に入るきっかけでしたので、卒業後はすぐに臨床に入ることが自然でした。神奈川の私立病院で小児外科5年、小児内科1年、そして成人内科を3年。その後千葉こども病院の設立準備に関わり、そのまま2年勤めました。

―大学院に進学したきっかけは?
中村 臨床にいた10年間でも、学部で卒業研究の指導をしてくださった先生の研究室には出入りしていたんです。それで、10年経ったときにちょうど近隣に来ていたこともあり、先生から「もう少し研究を深めてみたら」と薦められて、修士に入学しました。修了した年に博士後期課程ができることになり、博士後期課程の一期生になりました。

第4回日本糖尿病教育・看護学会での発表 写真第4回日本糖尿病教育・看護学会での発表

―当時はすでにご家庭をもたれていたんですよね。両立などの悩みはありましたか?
中村 当時は、「大学院も家庭も、やりたいことの7割ができれば十分だ」と考えるようにしていて、5割になったら二兎を追うのはやめよう、そのときは大学院を辞めようとも考えていました。両立の悩みよりも、他の学問を学ぶ院生と較べて「私がやっていることは修士に値するのか?」「博士に値するのか?」という自問は常にあって、そこで悩んでいましたね。それは、大学院生の研究指導に関わっている今でも続いていますが。

―なぜそんな風に思ったのでしょう?
中村 今でも看護学は後発の学問ですが、私が大学院に入学した頃は、日本ではまだ黎明期だったと言えます。他の学問だと先人に学んで……という事ができるのですが、看護の場合はその先人の絶対数が少なかったんですよね。だから、周囲の大学院生もみんな、修士論文も博士論文も「看護として」という視点だけでなく、「学問として」ということを常に意識して悩んだり自主的な学習をしていたと思います。

―新しい学問の難しさなんですね。
中村 でも、いいところもたくさんあって、そのひとつが「自由」であるということ。やはり、どんな学問でもそうですが、のりしろや枠に縛られない自由な部分がないと、発展していかないのではないかと思います。新しい学問であることで「自由」が自然にあったというか、「ゴールそのものを作っている」という意識がありました。教員となった今も、そののりしろは重要だと思っていますし、そうした環境を学生や後に続く研究者に対して保証したいと思っています。

看護基本技術演習 写真 看護基本技術演習 写真
看護基本技術演習

取材日2013.3.23

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