エンド・オブ・ライフケア看護学への千葉大学の取組

生きるを考える/2011年度

普遍教育「生きるを考える」第15回の様子

死生観・コミュニティとエンド・オブ・ライフケア

[日程]平成24年1月31日 III時限/12:50〜14:20(場所 B)
[講師]廣井 良典(千葉大学 教授)

  • 講義の様子
    講義の様子
  • 廣井 良典先生
    廣井 良典先生

受講生の感想

本講座最終回となる広井先生の講義は、死生観を考える講義の導入として先生ご自身のこれまでの経歴についてのお話がありました。確かに、大学や学部は文系、理系という分け方をされますが、現代社会においてはその枠を超えた事柄が要請されています。

まず、死生観の概観を人口動態の観点から死亡急増時代に突入していること、そして高度成長期以降死生観が空洞化している現状、2007年には団塊の世代の大量退職による問題の現実化の観点から示されました。そして、死生観について先生の言葉で2点提示されました。

次に、時間特に「深層の時間」を死生観との関連から考察されました。ここではライフサイクルを直線的、円環的二つの視点から考えることで死を還っていくことと定義されました。また、時間の重層性や老人の時間と子供の時間を比較検討することで時間には表層の時間及び深層の時間すなわち聖なる時間があるのではないかと整理されました。更に、生者の時間と死者の時間について考え生と死の連続性という視点についても考察し、「永遠」の意味について、「時間そのものを超え出ている」という解釈をされました。

更に、「自然のスピリチュアリティ(個別の宗教を超えた霊性)」について、日本を含む地球上の各地域・文化圏においては、自然と一体のものと考えられてきたとし、その例としてNHK「プロジェクトX」、「桜ロード 巨木輸送作戦」の映像を見て桜の生と死、職人の生と死から永遠に繋がる要素があるのではないかと考察されました。次に、日本人の死生観についても考察し、死生観は三層あり、一つはアニミズム的な層、次に仏教(キリスト教)的な層、三つ目に唯物論的な層と分けられ、はじめの二つを再発見する必要があると述べられた。

最後に、ケア・自然・コミュニティの視点から考察され、ケアは自然、コミュニティ、個人をつなぐことと定義された。同時に、イエスやブッダを絶対的なケアラーとして見る視点や、人間は「ケアする動物」であり、「ケアしたい」という欲求を持つと同時に、「ケアされたい」(自分の存在を認め肯定的に受け入れてもらいたい)という欲求を持つ(承認欲求)存在であるという視点を提示された。その例として、プレイセンターや鎮守の森や寺院の活動を示されて、共同体は、本来「死」という要素を含むものであり、今後は「死」という要素を含んだコミュニティの再構築が日本社会の大きな課題であるとまとめられた。

感想としては、日本社会が高度成長期を経て団塊の世代が退職の時期を過ぎた現代において、広井先生が最後に提示されたように「離陸」の時代から「着陸」の時代へと移行している。この時期だからこそ、ひとりの人の中の成熟と社会の成熟がコミュニティにおいて発揮されるよい時期ではないかと思える講義でした。